Central Game - Yokna Hasegawa 長谷川億名 舜若多web site

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佐渡島の永遠に続いて行く記憶と、日本海の印象(ランダム)

日本海の印象 immediate ἄσυλον ver.

 

日本海の印象 The sleeping Προμηθεύς ver.

 

1700年前、日本海が誕生した 浅い海の時代。深い海の時代。 今から100年前. 海底が隆起し、佐渡島が誕生した 日本海の誕生、深化、拡大を記憶した地層 日本海形成と佐渡島誕生のドラマ  ーーーの方は朝日が綺麗  ーーーの方は夕日が沈む

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『目は見えない』 (1) With Diskomargaux (Mai Nishino)

Eから教会で言われたこと........というか、その時の感覚.........自分の心が動いている感覚のことは、よく思い出す。生きるということが、信仰によって、初めて始まるような、という方が正しいか。
Marieが日本に来た時、その話をした、私はSarah Kaneや、Nelly Arcanの名前を出した。彼女は、それでその話題に納得してくれて、少ししてから、カトリックは、女性を抑圧してきた(閉じ込めてきた)。だけど確かに、生きる事の意味について考えるのは重要だと言った。......この感覚はなかなか説明しづらいし、かんたんな言葉になりがちで、「hold-とどめて」おけない。すでにかなりうすれているのだ。そして、誤解されやすく、利用されやすくもある。それでも私は、Marieが理解してくれたんだと思ったし、当時は、哲学の限界を超え、言葉の限界を超え、一つの人生という限界を超えて、もっと率直に誰かと話したかった。

 

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2018.10/

2019年は、天秤座にとっては、コミュニケーションや勉強が、はかどる年らしかった。
コミュニケーションにFocusする年、と言うのが、こう言う意味で、現実化(人生化)しているのだったら、私も、大層、レベルが上がったんだなと、光栄に思うほど、いつもの自分では考えも及ばない範囲の、コミュニケーションについて学んだ。

 

昨日は、自分の出来なかったこと、ほとんど失敗してしまったと、自分自身でも思っていたことに対して、友人の麻衣ちゃんに指摘されている気がして、イライラしてしまった。

友達にそう言った部分を見せるのは、かなりのショックを感じていたからと言ってよかった。

視覚障害のある人たちと友達になりたい、と考えていたのはかなり長かった。だが、願望が叶うのにこれだけ時間がかかるのが当然なほど、距離は遠かったと言ってよかった。

 

麻衣ちゃんの話にOさんが出てきたのは、これも最近のことではなかった。

話しているとすごく落ち着く、素敵なご夫妻がいる、と聞いていた。

私も駅で女の子が迷ってそうな時に声をかけて、手を握って一瞬だけ関わったのが印象的だったり、遠巻きに見る度、雑踏の中で白杖を持って歩いているその動きはすごく繊細に見えたし、

(こんな記事を見つけたのでリンク 

視覚障害者の「白杖SOSシグナル」めぐり議論 「広めるべき」「広まってほしくない」――協会に聞いた - ねとらぼ )

 

友達になれるならなりたいし、色々な疑問があって、話を聞いてみたいと思っていた、もし可能なら、紹介してもらえないだろうか、と無理を言って頼んだ。

Oさんは了承してくださった。

その月末だったろうか、Oさんのお宅にお邪魔して、午後いっぱい、これまでの人生や、生活の上でのお話をうかがった。物凄く興味深くて、楽しかった。

 

しかし、私の側の失敗は数えきれなかった。

 

私はそもそも何も考えずに動く所があり、そうすると、見えない相手は驚いてしまう。だから、まず、何かをやる前に、やることを声で伝える必要がある。カバンを開けるなら、「カバンを開けます」とか、「ペンが落ちたから取ります」など。

それを度々忘れてしまい、麻衣ちゃんに注意された。

それから声も、浅いところから出している自覚があって、低くて通りにくいのは知っていたため、劣等感を抱いた。

声の美しさ、言葉の美しさが、その場のコミュニケーションの中で最重要で、感情や人柄を伝える役割を持っているのはわかっていた。

「声だけでとっても沢山のことがわかるのよ。」

と言われて、自分がどう感じられているのか、不安に思った。

話すペースも、どちらかと言うと早いし、整理しないで話す(整理しないで話したい、知らないことが出てくるから)のと、表情や図を共に見せないと、間が持たないし、説明出来ない。
また、視覚的な比喩を使うその頻度にも自分で驚いた、例えば、褒めるときに「視野が広い」、何処かへ行くときに「見に行きたい」、描写で「明るい白い部屋」など...

 

人間は視覚型Visual type-、聴覚Audio type-、動きKinesthetic typeの三種類のタイプで分けられる、とはいえ、ふつうはそれぞれが少しずつ混じり合って、そのバランスで出来ている、と英語の先生に聞いたことがある。(先生は生徒の学習タイプを把握する必要があるので、そう言うメソッドに詳しいのだ)


そう考えると、私は、そもそもが視覚型優位で、音楽でも、ノイズや多少びっくりさせるような音も全然聴いていられる。言葉も、平坦な語りよりは、ソニマージュの様に多層的になっていたりする方が(質感があって-ここら辺は何感覚なのかわからないが)面白い。しかしAudio Typeの人にとってはそれはただの混乱で、苦痛でしかないと知った。

自分の得意なコミュニケーションが全部、裏目に出ていることを考えると非常に辛かった。

 

最後に帰る時、玄関で軽い気持ちで、挨拶として、握手をお願いしたのだが、それは決定的な体験となった。

 

それまで三時間、向き合って話していた、興味深かったはずの話が全て後景に遠のいて行くほどの固さ。驚くほど固い、しっかりした長い握手だった。

さらにOさんはすごく繊細に私の手を触ってくれた。

「解析されてる、と思った」と、のちに麻衣ちゃんは言った。

まるで自分の存在全体が手に吸い込まれる様だった。

この時初めて、私と言う人間をわかってもらっているんだなと、

それは、問答無用に、自然に、「わかった」

 

「あら、細いのね」

生まれて初めて、自分がどれだけ華奢な手首を持っているのかに思い当たった。

 

「背はどのくらいあるの?」

「160です。」

「いいわねぇ、私も150は欲しかった。私、140センチ。」

「(麻衣、玄関のドアの近くから)Oさんは、150ある様に見えますよね」

 

何をわかったかはわからなかったが、それでも、その時が何よりも一番、

私は私を「わかってもらっている」

視覚超優先型人間の自分のパッと出てしまう比喩で言えば、「見てもらっている」と言うことを、「わかった」そして、この握手がコミュニケーションだと言うことも。

 

 

帰ってから、その日のお礼に、時間をかけて丁寧にメールを書き、長文をOさんに送ったが、一言しか返事が貰えなかった。

よく考えればわかるのだが、メールをOさんご夫婦は、読み上げソフトを使って読むので、長文は迷惑極まりない。

(今では自分に対し、笑えるけど)その時は何重にも酷く落ち込んだ。

 

麻衣ちゃんからもそれを指摘されたので、辛くなってしまい、

私は、麻衣ちゃんが、Oさんサイドで考えている、でも、好かれる為に、相手に合わせることで、私固有のコミュニケーション方法が否定されるなら、そんなのは"不自然"だし、嫌だと言った。そのあと、「私無理だ。自分なりに礼儀正しくしたつもりだったけど。ごめん。」と言った。

15年くらいの長い友人だが、あんまり普段、麻衣ちゃんにこう言う様なことを言わないと思う。本当に、ズカズカ無神経に入り込むくらいなら、接点がないほうがマシだと言う、多くの人の賢明な判断がわかった感じだった。

 

でももちろん、麻衣ちゃんが、どんな気持ちで私をOさんのお家に招こうとしてくれたのかは、わかりきっていた。

だから、そう言った後、10分くらいしてから、かろうじて付け加えた。(今読むと推敲しそうになるけどそうするとほとんど意味も無いように思うのであえてそのままにする.....「難しい」という言葉は好きじゃ無いなと最近思う。)

 

不自然と言ったけど、それだけ知らない世界なのかもしれない。メールも、長いと丁寧よりも大変だと、もっとよく考えればわかったね。本当に難しい。麻衣ちゃんには取り持ってもらってほんとに感謝してる。自分なりのコミュニケーションではうまく行かないことがわかった。でも、握手したときも、コミュニケーションなんだと思った。だから、慣れてきたら段々相手の世界がわかってくるものなのかもしれないし、最初から、想像力がないなら、無闇に接近しない方がいいのかもしれない。どちらかわからないから難しい。

 

 

友達は怒らなかった。次の日(笑)、メールを返してくれた。

 

 

最初は大変に気を使うよね わからないから

そうやって考えることが大事で答えはやっぱ1つじゃないから面白いんだよね。
こういう機会で初めて話すことが沢山あって、そこで私達が気付いたことを伝えるという道なんだろうね。
失望なんかしないよ、ちゃんと考えてるから。障害のある人と向き合うってそういうことなんだろうね 
Oさんと話すネタできたね。想像力がないんじゃない、話せばいいし、考えたことは相手に伝わるから 

 

 

「メールより点字の手紙の方が嬉しいだろうね」

確かに...点字も覚えていないのに、何を理解できると思っていたんだろう

英語だって、勉強しても、いまだに話せないのに。

 

 

 

 

11/28

今日、以前、しんぺいくんに貰ったマリア像のキャンドルの手の部分が、引越しの運搬中に欠けていたので、母がつけてくれた火で蝋を溶かし、それをくっつけた。溶けたけどくっついた。

こう言うことをして生きていきたいと思った。

 

素晴らしいもの、驚く程神聖なものは

世の中にたくさんある

人や物事の一瞬一瞬の永遠の美しさを見出していけば、

その間のつじつま合わせなんて要らない。

コミュニケーションの意味と共に、美しさの意味も、拡大している

 

私はこれまで、自分が撮った「相手」を、その人に見せることで、

自分の心のうちを、伝えてきた。

私が相手をどう見てるか、どう尊重しているか、どこに惹かれているか

どれだけ熱く惹かれているか

 

その曖昧なやりとりでは通じない人とのコミュニケーションというのは、本当にとても難しいし、面白いと思うし、有難くも思う。

 

お宅にお邪魔する前、麻衣ちゃんと、せっかくだからOさんの話をまとめて、Zineにして、IRAに置いてもらおうという話になった。

タイトルについて案を出している時、麻衣ちゃんが、

「『目は、見えない』というのはどう?」

と言った。

私は言葉を失ってしまって、それは流石に無いんじゃないかな..、とその時は言った。

 

でも、Oさんとの会合を経て、そのタイトル「目は見えない」は、ものすごく的確に思える。

「違う人として考えないで欲しい、出来ないことは出来ない。

でも、見える人たちにだって出来ないことはある」という言葉が印象的だった。

分厚い哲学書点字で出てるし、読めるし、実際にOさんが読んでいるのも知った。

 

もしも街が、見えない人にとって何の危険もない、活かせる情報に溢れた、とても便利な街になれば、見えないことによって出来ないことなんて、何のハンディキャップにもならないんだなと思った。

私は無知だし、私の周りのほとんどの人も、無知だと思う。その無知さは、環境の仕組みが作り出していると言っていいし、混乱したくないと言う、思慮深さとも言えると思う。勿論たくさんのイベントも開かれているし、勉強しようと思えば出来るけれど、知ってる人がいないと、初めは敷居は高いのではないかと思う。

社会がどんな場であれば良いのか、それは難しいけれど、そもそも、自分の、友人が欲しいという気持ちは何なんだろうか。

「知らない世界を知るにはその世界の本を読むよりまず友人を作ることが大事である」と言う自分の中の説(感覚)があるけれど、それは当事者ではないし、正当性がそんなにないことはわかっている。

一方で、ほとんど単に、人に対する好奇心だけといえる私の動機も気にしないで、終始、穏やかに(最後の方は、カウンセラーの様な雰囲気さえありながら)お話してくださった、Oさんには、感謝しつつ...

 

だいぶ寝かしてしまったが、今年中に完成させたい。(点字、英語とトリリンガルはどうかなと思っているが...点字、日本語のバイリンガルには必ずする)

 

あと秋に、今編集している、短いカプセル的なインタビュービデオをアップできたらいい。

他は脚本。あと個人的なフォトブック二つ。(一冊は完成)

 

コミュニケーションが重要だと言う今年も折り返しだ。

 

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部屋を介した記憶術

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1. 文字が出来、本が出来、

コンピューターが出来、インターネットが出来、記憶術は廃れたかに見えたが、

実はその必要性は、今日(こんにち)、ますます高まっていると言える。

体が神聖なものであるような、記憶の神聖さ。

 

  ここの階段を上がれば、あの明るい無人の夏の小道に辿り着く。

ここのドアを開ければ、あの夕食前のレースのカーテンに繋がる。

 

実際、過去は、完全に、無くなっているのだろう。

記憶があるから、人は、タイムトラベルの空想をするが、

過去に戻ることは不可能である。

記憶というもの自体、脳の機能なのであって、時間の本質とは何の関係もない。

だから記憶は、その奥に何も支えるものも、展開するものもない、itself-本質そのものであり、他の人は知ることもできない千差万別であり、

記録不可能であり、アーカイブ不可能であり、

大事なものである。

 

 

2. 街は、目が見えない人の為に出来ていない。社会が、目の見えない人ばかりだったら、この街は、目の見えない人の為に機能的な街になり、目の見えない人は、視覚以外の、至極テクニカル(繊細)で、視覚優位の人間が思い及ばない感覚を持っているから、それらがあるだけで生きられる街になる。そこでは、目が見えないことはハンディキャップには一切ならない。記憶がない人にとっても同じだ。記憶がない人にとっての街ができる。それらが重なって一つの街になっている方が、出会いがあり、気づきがあり、世界の全体がわかる。一方で、物事は複雑にはなる。直線的な効率性を重視することにより、実際は別々の街に住んでいるかの様になってしまう。

 

 

3. 昨日は高校時代の友人、ミホちゃんと、作家を研究されているうららちゃんと、ボルタンスキーを観に行った。

うららちゃんは大阪展も観ていらっしゃったので、違いを聞くこともできたし、湯沢先生の講演を聴いてからだったので、これまで曖昧に理解していたことがクリアになった状態で観ることができ、贅沢だった。その後、表参道のLVでも一つインスタレーションがあると言うのでハシゴした。

これまでは、それこそ「シリアスな」、「ホロコースト・アート」の人かと漠然と思ってたし、微妙に避けてもいたが、実際は、もっと広い人類の記憶全体をテーマにしている人で、アートとしてやりたいことの不可能性の自覚からくるチープさと不完全さを前面に出している屈折性がある人だということがわかって、魅力を感じた。
友達が教えてくれた、「湯沢先生は元々プルースト研究家である」、という事実にも納得。あと、お化け屋敷感を自覚している、子供に衝撃を与えそうなところも素晴らしいと思った。

「今はいない」人物の写真を利用した、モニュメントシリーズなどで有名な作家だが、コンセプチュアルアートが主流の時代だったので、観客をエモーショナルに巻き込むことに対し、初めは反発があったらしい。ただ、その後、エモーションについての研究なども出てきて、その先見性が証明されているとのことだった。

論文について講演後質問したところ、フランス語でしか出ていないが、「エモーションの復習(あるいは、復讐、かもしれない。確認してみたい)」というタイトルのもので、7,8年前のものらしい。

人々の顔は、その集合写真が撮影された時代と場所的に、ホロコーストで亡くなった「可能性の高い」人や、作家が誰の名前も覚えておらず、「死んだも同じになった」昔の同級生の集合写真、「新聞の死亡報告欄に載ったスイス人の顔写真」(これはスイス人は亡くなる理由が特別に無いから、という理由で作られた、ホロコーストアート、という批評に対する作品らしい)など。ただ、ただ亡くなったスイス人のアート作品は、照明もなく、もっと集合的な死を表す、怖いものになったらしい。

写真を見るだけで、自動的に動いていく心というものは不思議だし、それを支持する豆電球の光や、子供時代っぽいブリキ缶などは、思い出機械とでも言えそうな魅力があった。

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ボルタンスキー@国立新美術館 ~9/2 写真が撮れたスペース。子供が見たらどう思うか知りたい。

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ボルタンスキー



 

キーファーの話も出て来た。キーファーは、やはり服(古着)を使うが、ボルタンスキーの様に、「まだ着られる」様な形では使わないらしい。

講演前に偶然、「ドイツのアーティストで..少しボルタンスキーとイメージが似ている人が好きだ..」とうららちゃんに言ったら、すぐ「キーファー?」と言われたので、かなり狭い知識なのだろう..。

「物が好き」というのは、どういうことなんだろうか。

「審判」の本の山の上の二人..  ラウルルイスの遺作の中の、屋敷の中の物の山の上で、靴を脱がせてくれ、と言っている男..。物の山に載って、ぼーっとしてる人を見ると、巨大な魅力を感じ、切なくなる。   結局........

 

タルコフスキーは、「ロダンは文学をやっているだけで、彫刻をやっていない」と言った。さすが、彼のマテリアルに対する、造詣の深さとエレ-メンタル重視(堕落していなさ)が垣間見える言葉だ。ただ、埴谷雄高木下恵介の映画を批判している様に、ドラマが先立っている時代が終わった後の素材そのもののささくれ立った魅力というのはあると感じている。木下恵介の映画の魅力は、何度か書いている通り、ドラマではない。ドラマでヒットした映画監督だけど。そしてそれはドラマが風化していない間は肉の下の骨みたいに出てこない。

 

ある画家の絵を追いかけている、あと二枚、エリザベス女王が持っている絵ともう一枚でコンプリートで、最近は追いかける速度を落としている、という、100カ国を回るところだという、可愛い旅人の子と、ドイツへ行く飛行機で、隣の席になった。

 

帰って来てから、子供を主演にした映画を撮りたいと思ったので、参考に、「クローディアの秘密」を読んだ。ニューヨークの姉弟が、メトロポリタン美術館に家出するという話で、

姉弟は、ある新しい天使像が、ミケランジェロ作かどうかを推理しようとする。姉弟は、自分たちが誰よりも天使像と近くにいて、寝泊まりしているのだから、わかるはずだと思う。この姉の像への研究欲/愛も興味深かった。(現実的に、どれだけ親が心配するだろうみたいなところが気になってしまったが..)

 

これまで私が一番落ち着く気持ちを覚えた美術館は、(ルーブルは、サモトラケのニケ大好きな中学生の時だったから別格として...) ロダン美術館だと思う。

「ここが私の家だったら良いのに。」とさえ思った。

丁度、キーファーがやってる時で、作家のこともテーマも何も知らないまま観て、すごいグッとくるものがあった。完全にフェティッシュな回路だったと思う

子供達が団体で見学にきていて、ロダンのエロティックな彫刻をみんなで観ているのが面白くて写真で撮ったが、上海でしか現像できないフィルムなのでまだ観ていない。

 

物の順序のランダムさは、単純に時間の大きさを意味すると思う。

物は、どんなにうまく整理しても、だんだんと無秩序になってしまう。

物の、中の、時間を感じさせる部分が好きだし、物や言葉の順序の取り違えには、永遠くらいに引き伸ばされた時間に到達できる可能性がある。

 

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もう一つは、前も一度か二度書いたかもしれないが、ウルグアイのコロニアデルサクラメントの、Museo Municipal Dr. Bautista Rebuffo..「バウティスタ・ルブフォ博士の家」...?

なぜ好きだったかと言うと、「植民地にする」と言うことが凄いあからさまに残っていて衝撃的だったし、..具体的には、裸で火を起こしているすごく素朴な印象の原住民の人たちの絵の隣に、スペイン人の征服者が座っていたという豪華っぽい装飾のある古椅子と、華美な制服を着た征服の際のリーダーか何かの精緻な「立派な」肖像画が無神経とも言えないくらいの無意識さで並べてあったり..

この島全ての動植物がコレクションされている、と豪語する部屋があったり..。化石とかも普通の博物館みたいに清潔感がなくて、雑然としていた。

https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298066-d4367098-Reviews-Museo_Municipal_Dr_Bautista_Rebuffo-Colonia_del_Sacramento_Colonia_Department.html

一番好きじゃなかったのは、チリのサンディアゴの、プレコロンビア博物館。ただ、現地のチリ人も含めた友人には、一番観るべきだと言われた。ここは巧妙な博物館だった。

 

南米はその無垢さからなのか、隠しているものが見えやすく、旅は、本当に良い経験だった。そう言うこともあって、ニューヨークも、嫌な思いするだけだろうと、美術関係は何処にも行かなかったが..。

南米に行った後、化石や動植物や、まだ残っている歴史の層を垣間見た後、記憶術に、にわかに興味が出て来たとも言えるかもしれない。ボルヘスが南米生まれだと言うのもわかる話だった。スペイン語の並列的な発音もまた、私には何かの過剰さ..英語ーフランス語の対比とはまた違う、イタリア語が過去に向かっている様な感覚ともまた違う、並行的な感覚を引き起こし、記憶術と結びつくのだった、

博物館的に繋がるのが、クリスマルケルだけど、クリスマルケルのあのグロテスクなアーカイブの魅力が、イノセントなままあるのが重要な博物館かもしれない。美術館、博物館にも洗練されればされるほど、順番があり、ストーリーが隠されているけど、そう言うのがゴチャゴチャとして、特に文化的なテーマもなく、とにかく土地柄、的な感じで、この土地で発掘された、みたいな感じで雑多に集められているのが良いと思う。どんなものも、洗練と堕落が繋がるのが不思議だなと思う。

 

今突然思い出した、1997年に、北海道に家族旅行で行った時に、なぜか小さい場所で美術展を観た記憶がある。そこで、尋問を受け、虐殺されたプロレタリア作家の死体の、白黒写真を見て、時たまザラザラとなる。

私は小学生で、ポンプフューリーを履いていて、階段を上がっている時、「かっこいいですね」と、黒い服を着た人に言ってもらって嬉しかった。あの洋風の屋敷みたいな場所と、埴谷雄高の世界と、黒い対談集を一から書き写した、特別な夏の図書館の感覚が、繋がっている。

 

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鬼と四人の子ら

www.youtube.com

 

島尾ミホ朗読『鬼と四人の子ら』

前に、Thibautに頼まれて作った、Amoebaという音源の中にある、島尾ミホさんの語りが文字で読めるものを見つけた。私の音源は、柴田南雄さんの作品集から使わせて頂いていて、聞き取りやすいけど、かなり文脈を曲解しているので、このまま聴いた方がいいでしょうね..。

soundcloud.com

 

今は全然周知されていないが、権利をviolateするくらい聴かれたら消すつもりです。

今はお金とインターネットが直接繋がる時代になってしまって、素直に紹介できないのが残念です。この音源以外にも、柴田さんの音楽も、合唱も、アルバム全体ですごく素晴らしいです。

 

この時のコンセプトは、今の日本の国が無くなっても残る日本の音楽、という感じだった。

そういう時もちろん難しいのは、渡来文化の関係とか、縄文弥生でも違うしといったものですが、最終的に現時点では曖昧なまま出してしまいました。

頭にあったのは、石井達郎先生が前に断言してくださった、『日本のオリジナルの文化は、暗黒舞踏と、「具体 GUTAI」しかない』という言葉だった。

 

知っている中から派生して集めていく中で、オリジナリティがある、と感じていたもの、思っていたもの、また、かつ、ハブになっているもの(吉増剛造からは色々、接続の手が伸びて出ているけれどー北村透谷など..)

候補の中には「宮沢賢治が聴いていたクラシックのレコード音源」

埴谷雄高の音源をサンプリングする、などもあったが、流れを優先してやめてしまった。

とにかく入れたかったのは、「合唱」。情緒的な合唱も独自性を感じてはいたが、外国の人には伝わるかどうかわからなかったので、アバンギャルドな合唱という意味で、中学の時に聴いて驚いた曲を断片的な記憶(歌詞と、足踏みが途中であるなど)で検索して出てきた、「かみさまへの手紙」という、一曲を入れたいとは思っていた。これも入れず、日本神話についての歌にした。

あとはDumbtypeは絶対だった。(冒頭はDJ Spookyでそのあとも中国の伝統曲が入っているので最初からコンセプトから逸脱してしまっているが..とにかく精神的にはそうだった、)

別に無くなって欲しい訳ではないし、日本のことが好きだけど、本当に、海の音しか残ってないのが思い浮かぶ。

今の音楽も洋服も、精神も、当たり前だけどほとんど欧米ベースなので、本当に探すのも選ぶのも難しくて、頼まれてから一年くらい経っていた気がする..。宝塚は凄い文化だと思うから、リサーチできたら入れたかったが..。能とかも、そのころは全国の能の違いを知らなかったので、五、六年前に外国の友達のDJがミックスに入れてて、そういう表に出てきていて残りそうなジャポニズムはそれでそれでいいと思うし、自分はやりたく無いなと思っていたし、結果として、今考えてみると、芸能山城組が三曲くらい入ってしまっているけど(笑)、

今ならアニメの曲と8ビットやゲーム音楽を避けないだろう..。JAシーザー氏は勿論凄いけれど、依頼してくれたthibautが寺山修司が好きな人だったので入れなかった。

結局日本がなんなのか作ってみてもわからなかったが、個人的にいつも思い浮かべるのは、溝口健二の「山椒太夫」の最後のシーン。

あの海がいつの海で、日本かどうかなんてわからないが、

あと、探しても画像が出てこなかったが、岸田今日子さんが中上健次の「千年の愉楽」を上演された時のオリュウノオバが一人で、円形の舞台のような所にいる様子。。

だから、柴田さんの音源で、島尾さんが、大勢の大和言葉が話し始めても一人、語り続けていて、途中でやめる様子は、私にとってすごく理想的な光景だった。

語りやめても、一人、佇んでいるのが感じられて。

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Memoir 旅のアルバム : 2 ベトナム Vietnam HCMC, Hanoi in 2018

 

Memoir  旅のアルバム : 2 Vietnam HCMC, Hanoi in 2018 July-October and 2019 January Camera : Nikon D600 Kit lense lol

Music : Song of Summer by Jefre Cantu-Ledesma

Video By Yokna Hasegawa

ちょうどプレミアを開けていたので、ベトナムの素材だけで懐かしくなって一気に作ってしまった。バイクと工事現場と雨ばっかりですけど。食べ物も全然撮っていない。。でも彼らの生活環境のディテールずーっと見てられるんだよな。

日本人街にずっといたし、誰も彼も魅力的だったし、撮りたくて撮るのをやめたものは非常に沢山あった。特に家の中に人がいてなぜか電気もつけず、あるいは蛍光灯つけてても暗ぼったい部屋で、テレビ見たりご飯食べたりパックしてる様子やその時の音。道を歩くと、家ごとに、サンプリングみたいに音楽が変わって行く-歌謡曲とか、ニュースとか、サッカーとか..

ドアを開けっ放しにしてるのに、目が合うと驚かれる。挨拶すると、子供みたいに笑ってくれる。

でも、それらは記憶に留めて置いて、フィクショナルにセットして物語る時にやるべきなのだろう。

その中で乗り物から街を見る時と、雨に降りこめられる時と、朝四時まで物すごい騒音とともに隣でやっていたビルの工事現場は、毎日見て、空とかが綺麗な時には自然に撮っていた。 これから、地下鉄が作られるとどのように変化していくのか。最後のジャパンーベトナムは、確かその地下鉄の入り口だった..はず..

当時は学校と家との往復で、学校に行くのがとっても楽しかったので、マルグリット・デュラスの生まれた場所ということでサイゴンを選んだのに、結局ツアーも苦手で、ショロンは少し行ったけど、メコン河もメコンデルタの方も、信頼できる人がいなくて入り込めないならイメージに留めて置いた方がいいかなと思って行かず..。戦争跡地とかも博物館に行ってしまうと、辛くて行けず。

あんまり取材的に接したくなかったのもあるけど、この編集した映像からはそう言ったことは完全に抜けているということも、作って見てわかった。サデーク、セオクイット、南北の境界線の辺り..

次行く時は完全にリサーチのためなので、そう言った所を重点的に回りたいとは思っている。

 

私の三部作目で作りたいと思う時に"回想"するヴィジョンについて、

日本だけじゃなく、ベトナム戦争の感覚が鮮烈なんだなということに気づいた。

ベトナムへ出発する前、バオニンの『戦争の悲しみ』の鮮烈な印象を思い出したのだった。この本は、お金ない時に売ってしまったのだが、またその後で買い直した。中国の作家の残雪が好きで、池澤夏樹の世界文学全集をたまに集めて読んでるので、A面🅱️面の関係で読むことになった。

しかし、確か、1日目にホーチミンの本屋で探したんだけどなかった。ほとんど同名のすごく有名な作家が、前の世代にいて、その時は検索しづらかった。

 

 

I stayed at Japanese street in HCMC, and everyone were nice, but they simply live there, so .. I had many things that I wanted to shoot but I couldn't. In these landscapes, I could shoot naturally in vehicles and when couldn't go out because of the rain, and I looked at the construction next to my room. It was so noisy eve ntill 4 am, but I liked to see them.

 

Film like a zine series part 1 Evade live documentary in Mush•Room, Macau (2016)

youtu.be

 

覺醒と寂滅

Oh Asia, Eternal Amoeba Yokna HASEGAWA

永遠にアメーバ的なるアジア-長谷川億名

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永遠にアメーバ的なるアジア、長谷川億名 ベトナム、ホーチミン

 

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旅行へ行っても、観光地には行かないし、美術館もギャラリーも行かない。エキゾチックな、セッティングされた顕在意識を撮りたいとは思えない。

どんなに好きだと思う人と会っても、美しいものに触れ美味しいものを食べても、段々空っぽになっていって、どこでも、どんな時間の中でも、変わらない私と言うものがただ続いていることに気づく、それが好きなのだと思う。

特にトランジットで23時間とかの安い切符で帰ってくると、無意味に外へ出て、何の繋がりもない、それこそ偶然行く事になった国、街の風景を見る事になる。

それが香港や東京や、上海みたいなスパイが生き延びやすそうな街だと、完璧だ。

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さっき、地元の小洒落たパン屋へ行ったはいいが、何となく腑に落ちず、ややロウな気分で空っぽに信号を待っていたら、いきなりばっと、7、8人のサンバイザーをかぶった人たちが自転車で私を囲み、私を完全に仲間に入れた状態で、東南アジア(多分タイ)っぽい言葉で楽しそうに話していたので、私も思わず溶け込んで、一人が何か喋って、みんなが笑うところで大笑いしていた。

 

最初にホーチミンに行った時に、「凄い湿度ですね」と言ったことを思い出す。

湿度があるから、空気すら感触のあるものに変わり、境界線がわからなくなり、他人も自分も一緒くたになってしまうのだ。

そんな液体的なコミュニケーションを懐かしく思った。

道を歩いて顔見知りになれば果物を枝付きで貰え.. 、もちろん同時にぼったくられはするが、その話を道端でしたら、今度はお金を(700円くらいだったが、)貰い..、本当にすごい国だし、住むならベトナムだなぁと言う気はいまだにしている。

 

ただ映画を作りたいと思うと、ある程度時間がかかって現地で関係性を育んで行くか、ズカズカ入っていって、無垢でエキゾチックな風景だけ掠め取って帰って行くか。それでもベトナムは、別に何も言わないとは思うが。上海も、香港も、東京も、似通って来るけれど、ホーチミンハノイは完全に異なる部分が残ったままになるだろう。それが湿度がもたらすものだと思う。結局、お金で何を貼り付けても、それを凌ぐ勢いでスコールが叩きつけられ、瞬く間に水が満ちては引いて、植物は生い繁ってエーテルを発して行くので、普通の国に収まるわけがない。

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ニューヨークは、何人かの人に、「ホーチミンからニューヨーク?!逆ですね..」と言われた。

ニューヨークは...、全く発展していなかった。非常に原始的な光線があり、アメリカ大陸にコロンブスがやって来たことを追体験できるような自然の残り方をしていた(個人的には)。。

色々見て行く中で一番「発展」しているのは、結局、東京だなと思う。

それはルーツを根幹から断ち切って、デジタル的に処理して来たから、何も残ってないから、多分出来たのだろう。

ベトナムには前述した通り、「抵抗」としての、物理的な「湿度」があった。スコールがあった。日本にはそう言ったものは何もない。あったとすれば、精神と、言語の中にだと考えている。

発展て何の意味があるの?というくらい、ニューヨークはルーズで、楽で、居心地よく、ベトナムと同じ様に、歩いてるだけで友達が出来ていく楽しさはあった。「髪型いいね!」で20人、「そのラップトップ何?!(ヨガブック持ってたので)」で5人くらい。あれですごい高い街なのが不思議だしわかるような気もする。高さとは何なのか。人が住みたいと思う街とは何なのか。

行ってから、ストレンジャーザンパラダイスとかを見ると、本当に、日本のどうしようもない日常を撮った映画を観てるくらいの近さになっていて驚いた。スタイリッシュな風景じゃなく、「近所で撮ったのかな」になってしまっていた。どっちが本当の観方なのかわからないが..。(勿論それでさらに恐い所が見えてくる凄い映画だったが、)

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ニューヨークでは、美術館に全然行かなかったが、映画館には行けた。

日本で会いに行ったドゥニがちょうどNYにもいらっしゃっていて、彼女の映画を9本(米MUBIでも特集されていた)@BAM,

Dennis Cooper、Zac FarleyのPermanent Green Light @Spectacle

Bi Ganの、Long Day's Journey Into Night @Metrograph

Long Day'sは、もう一ヶ月前に観たけど、本当にすごかった。3Dになってからの越え方..。

チープな3Dメガネによって、初期映画に非常に近い所に戻りながら、かつこれまでの映画史ではなかった身体感覚で私たちを巻き込んでくれる。また、知られていなかった土地があって、それを映画で互いの人生に穴を開けて、垣間見せる、という部分で、「臨場感」の必要性と3Dは深く繋がっているし、明らかにタルコフスキーを思わせるいくつかの描写さえ、彼の映画の中では完全に解釈どころではなく、再接続されていて、あー新しい映画なんだなぁと、映画はこうして続いて行くんだなと、映画館で震えた。

 前に横田さんが、写真は魔術ではなくて小手先の手品なんだっていう言葉が好きだと言っていて、印象に残っていた。帰って来てから、ニューヨークのフォトブックのページの流れを作る過程で、いくつか潜在意識的な仕掛けを作ろうとしていて(簡単に言うと映画で言う、イメージカラーとか。赤を必ず入れるとかそう言った)、それによって魔法をかけよう..と、考えてかけて、「いや、これこそ、テーブルマジックじゃなくて何だろう」とハッと気づいた。

横田さんから聞いた時、テーブルマジックという言葉は、卑小さを意味するように聞こえたけど、写真が写真家の意図で大きく変わるものだと言うこととか、そのケミカルなプロセス以前に、芸術家全体がやっていること、意識するもしないも、制作過程で使っているトリックは全部テーブルマジックであり、だけどそれは全然ネガティブな意味じゃないということをふとその時実感した。

なぜテーブルマジックを人は人に仕掛けたいのだろう?って言うこととか、トリックによって相手や観客の中に見える/起こる結果と、マジシャンのプロセスはまた、ぜんぜん別のことなのだと言うこととか。また、マジシャンの動機がお金や仕上げ的な一般的外観に繋がるならそれは簡単だろうし、皆納得するだろう。でも一方では人間の精神の構造の探求にもなって来る。アブストラクトな感触、ミステリーに向かって行く可能性があって、そこで世界で初めて起こるマジックは、発明であって、「自然」と同じ形で人間を変えて行くものになる。

 

あとはドゥニの、I Can't sleep / パリ、18区、夜、泣けてきましたが、それが、真っ昼間の、ジャックタチみたいな、一番笑えるシーンだった。昔の女優さんが若いまま、映画の中で生きているところを見ると、途轍もない幸福感と悲しみに包まれ、映画の歴史が残すものをどうしても感じてしまいます。だから映画はやっぱり、3、40年以上経たないと、真価はわからないでしょうね。

Trouble Everyday / ガーゴイルも、私は真面目に観るつもりだったが、ヴィンセント・ギャロが出てくる度、会場が笑いの渦に包まれるので、そういう楽しみ方になってしまった。

とにかくみんな笑い、本人たち不在でも拍手するので、それにも感動した。大切なことに非常に気付かされた。みんな静かに出て行くなんて事はないから、映画館から出てきてもあんまり寂しくならない街なのがいい。ドゥニの時は友達もできた。ニューヨークで好きな映画を全部見返したい。

 

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とにかく私は自分にもう逃げ場がないこと、映画を撮らなければならないということがわかり、トリートメントを書き、リサーチを始めている。ニューヨークの写真もまとめるけど、それもまた、映画に近づく手段だというのがわかる。

埴谷 パラレル・アクションとあなたは言いましたけど、確かに少年はそう言うことを感じていて、例えば危機一髪の瞬間、助けに来るやつが馬に乗ったり、あるいはオートバイに乗って来る。これがパラレルですね。こっちが危ない、向こうからは助けにやって来るーその時少年は必ず拍手するんです。その少年の拍手は、やがて、存在の秘密だか人間関係の秘密だかわからないけれども、その秘密を探求しようと言う精神の追いかけごっこになるんですね、単細胞から我々人間に成長するまで、結局、絶えず何かを追っかけていたということですね。(埴谷雄高対談集 覺醒と寂滅)