境界線(西行)
昔せし隠れ遊びになりなばや片すみもとによりふせりつつ
なによりは舌ぬく苦こそ悲しけれ思ふことをも言はせじの
なべてなき黒きほむらの苦しみは夜の思ひの報いなるべし
に砕け果てなばさてもあらでよみがへらする言の葉ぞ憂き
たらちをのゆくへを我も知らぬかな同じ炎にむせぶらめども
∥ 広野に出て人もみぬ所にて、死人の骨を取集て、頭より手足の骨を違えず
∥続け置きて、ひさう(砒霜)と云ふ薬を骨にぬり、イチゴとハコベとの葉をも
∥み合いて後、藤の若葉の糸などにて骨をからげて、水にて度々洗い侍りて、
∥頭とて髪の生ゆべき所には、西海枝(サイカシ)の葉とムクゲの葉とを灰に焼きて
∥付け侍りて、土の上に畳を敷きて彼(カ)の骨を伏せて置きて、風もすかずし
∥たためて、二七日をきて後に、其の所に行きて、沈と香とを焚きて、反魂の
∥秘術を行い侍りき。
∥ 人の姿には似侍りしかども、色も悪く、すべて心もなく無く侍りき。声は
∥有れど絃管声のごとし。げにも人は心がありてこそは、声はとにもかくにも
∥つかはるれ。ただ声の出るべき計ごとばかりをしたれば、吹き損じたる笛の
∥ごとし。
さても是をば何とかすべき。破らんとすれば、殺業にやならん。心の無け
∥れば、ただ草木と同じかるべし。思へば人の姿なり。しかし破れざらんには
∥と思ひて、高野の奥に、人も通はぬ所に置きぬ。
〜
∥ 香をば焚かぬなり。其の故は、香は魔縁をさけて聖衆を集る徳侍り。しか
∥るに聖衆、生死を深くゐみ給ふ程に、心の出でくる事かたし。沈と乳とを焚
∥くべきにや侍らん。又、反魂の秘術を行ふ人も、七日物をば食うまじきなり。
∥しかうして造り給へ。少しも相違はじ。
∥
其れとあかしぬれば、作りたる者も作られたる者も、とけ失せにけ
∥れば、口より外には出さぬなり。
我歌を詠むは、遥かに尋常に異なり。花・ほととぎす・月・雪、すべて万物の興に向ひても、凡そ所有相皆是虚妄なること、眼に遮り耳に満てり。又詠み出すところの言句は、皆是真言にあらずや。花を詠めども実(げ)に花と思ふことなく、月を詠ずれども実に月と思はず。只此の如くして縁に随ひ興に随ひ詠み置くところなり。(中略)此の歌即ち是如来の真の形体なり。されば一首詠み出でては一体の仏像を造る思ひをなし、一句を思ひ続けては秘密の真言を唱ふるに同じ。我此の歌によりて法を得ることあり。もしここに至らずして妄(みだ)りに人此の道を学ばば、邪路に入るべし
春
あくがるる心はさてもやま桜ちりなむのちや身にかへるべき
花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける
花に
夏
聞かずともここをせにせむほととぎす山田の原の杉のむら立
秋
うちつけにまた来む秋の今宵まで月ゆゑ惜しくなる命かな
月を見て心浮かれしいにしへの秋にもさらにめぐり逢ひぬる
なにごとも変はりのみゆく世の中におなじかげにてすめる月かな